ヨガ習学の前に
幸福の秘密とは、世界の全ての素晴らしさを味わい、
しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ。
習学の前に
ヨガの原語である『yoga』は、「牛馬に頸木を付ける」を意味する『yuj』から派生した名詞であり、その名前が素直にヨガの本質を示しています。ここでの「牛馬」とは、繋ぎ止めておかなければ奔放に動き回ろうとするものを例えているのであり、それは即ち「心」を示しています。
そう、私たちの心は、繋ぎ止めておかなければ奔放に動き回るよう習慣づけられているのです。
ヨガとは、自己本来の姿を明らかにするために、散動する心の作用を制止する作業を繰り返すことにより、それを習慣づけし、その不動へと至ろうとする行法です。そしてその行法の一側面が修習とされ、もう一側面が離欲とされ、経典『ヨガ・スートラ』に示されています。
修習は、散動する心の作用を制止する作業を繰り返す努力であり、それは牛馬が美味しい草を求めて動き回ろうとすることを力づくで引き止める努力に例えることができます。一方の離欲は、散動する心の作用が静止する教育を繰り返す努力であり、それは牛馬に世界で最も美味しい草はここに生えているのであり、一見美味しいと感じていたであろうここ以外の草は、食中毒を起こす危険な草であるなどといった風に教え込むことにより、牛馬が美味しい草を求めて動き回ろうとすることを自ら止めさせる努力に例えることができます。
つまりヨガとは、修習と離欲という両輪により、牛馬のように散動する心の習慣を、徐々に徐々に不動となる習慣へと手なづけていく行法と言えます。
そしてその修習と離欲を具体的に示した行法が、ヨガの八支則とされ、経典『ヨガ・スートラ』に示されています。
さて、この解説書は、今ここでお話したことを、手を変え品を変え何度も何度もくどくどと繰り返し解説しています。つまり、今ここに書かれてあることを理解するために、この先を読み進めていくべきです。修習と離欲への動機が弱い分には、同じ言葉だからと読み飛ばすのではなく、同じ言葉であっても何度も何度もくどくどと繰り返し読むべきです。
この繰り返しにより、理解から確信が起こり、修習と離欲への強い動機が培われたなら、後は自動的に、起こるべくして起こることが起こることでしょう。
2018.3.26 尾山 広平