【勧戒②】満足

ヨガを一から習う

2-42

満足の戒行を守ることによって、無上の幸福が得られる。

『ヨガ・スートラ』

② 満足:サントーシャ

満足しなさい、という勧奨戒律である。原語である『saṃtoṣa』は、「満足、充足、幸福、愉悦」などを示し、一般的には「知足」などとも訳されている。

満足の戒行の意図は、まず単純に、人生における重要事項と非重要事項との区別を自覚することである。


そして、非幸福への無関心、幸福への関心により、心の散動状態をいじする習慣を排除し、心の不動状態を維持する習慣、即ち幸福へ留まる能力を獲得し、自己と対象との同一化を弁別し、無明を除去することである。

対抗思想:原因と結果の理解

満足の戒行に背こうとする思想に対抗する思想とは、非幸福への無関心を起こす思想である。

まず単純に、非幸福を放棄し、幸福と関わることである。その本質は、非幸福を放棄しようとする動機、即ち非幸福への無関心がどれ程であるかどうかに加え、幸福と関わろうとする動機、即ち幸福への関心がどれ程であるかどうかである。故に、非幸福への無関心、幸福への関心を徹底したものとするために、苦悩の起こる原因と結果の関係性を明確に理解し、錯覚を錯覚として明確に理解することである。

まず、非幸福への関心、幸福への無関心は、無明を根因とし、我想を原因とした貪愛と憎悪(欲望と恐怖)により起こることを、明確に理解することである。次に、非幸福への関心こそが、欲望と恐怖への束縛を反復させ、苦悩の経験を永続させる要因なのであり、幸福への関心こそが、欲望と恐怖からの解放であり、苦悩の経験を終焉させる方法であることを、明確に理解することである。直接的には、非幸福を非幸福として自覚し、幸福を幸福として自覚することである。

そのために、常時、幸福としての私を忘れないことである。

不満促性と満足性

ヨガとは満足(幸福)の探究法である。満足の戒行とは、心の不満足性(非幸福)を排除していき、心の満足性を獲得していく行法である。

最終的には、外側にある全ては不満を起こす原因であると理解することにより、その全てを放棄し、満足そのもの(幸福)へと至ろうとするものである。

あるがままの受容

今以上に楽しみをお止める貪欲さ、今以上に苦しみを避ける臆病さ、今そうである物事を否定し、拒絶し、抵抗し、不満を持つことにより、心の散動は起こる。逆に、今以上に楽しみを求めず、今以上に苦しみを避けず、今そうである物事を肯定し、受容し、服従し、満足することにより、欲望や恐怖は消滅し、心の不動性は起こる。

日頃より、見る色形に満足し、聞く音声に満足し、香る芳香に満足し、摂る食事に満足し、受ける体感に満足し、浮かぶ思想に満足し、更に語る言葉に満足し、行う行動に満足し、交わる人間に満足し、持つ物品に満足しするなどと、あらゆる物事に満足することが、満足の戒行の始まりである。

全ては不要な幸福でないもの(苦悩)であると放棄し、幸福であるもの(幸福)として在る地点が、その終わりである。

不満と満足を超える

ある物事は否定し、ある物事は肯定する、ある物事は拒絶し、ある物事は受容する、ある物事には抵抗し、ある物事には服従する、ある物事には不満を持ち、ある物事には満足するなどと分別することも、心が散動する原因である。

今そうである全てに不満を持つ、あるいは今そうである全てに満足することにより、『不満足と満足』の区別を越え、欲望と恐怖は消滅し、心の不動は起こる。



満足


幸福として在りなさい

定義付けによる、自分と他者の区別を越えて、幸福として在りなさい
己へと去来する、快楽と苦痛の区別を越えて、幸福として在りなさい
自ずから起こる、あるがままの状況を越えて、幸福として在りなさい

あなたの本性である、幸福として在りなさい


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苦悩の原因を理解しなさい

幸福でないものを幸福であるものとする錯覚
苦悩であるものを苦悩でないものとする錯覚

それが苦悩の根因である

自己による観照と心による認識作用とを同一であるとする錯覚

それが、快楽と苦痛に関心を起こす原因である。

快楽と苦痛へと関心を持つ事

それが、欲望と恐怖に支配される原因である

欲望と恐怖に支配される事

それが、あらゆる苦悩の原因である



外への関心が誤りである

内側に常在する幸福であるものに関心をもたない事が、苦悩の種である
外側で生滅する苦悩であるものへ関心を持つ事こそが、苦悩の種である

それは、欲望と恐怖に支配される、地獄への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行への束縛の道である

外への関心、内への無関心こそが、誤り-苦悩-である



内への関心が正しさである

外側で生滅する苦悩であるものへ関心を持たない事が、幸福の扉である
内側に常在する幸福であるものに関心を持つ事こそが、幸福の扉である

それは、欲望と恐怖から自由に成る、天国への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行から解脱の道である

内への関心、外への無関心こそが、正しさ-幸福-である



関心の向きを引っ繰り返しなさい

外側へ、幸福を探すのは愚かである
内側に、幸福を探すのは賢さである

求めて止まないソレは、外側には有り得ない事を理解しなさい
求めて止まないソレは、内側にのみ有り得る事を理解しなさい

世界は、苦悩に満ちている事を理解しなさい

外側への努力は、不毛であると自覚しなさい
その明らかな不毛さを自覚し、その努力を手放しなさい

内側への努力は、肥沃であると自覚しなさい
その明らかな肥沃さを自覚し、その努力に献身しなさい

外への関心、内への無関心という、誤った向きを引っ繰り返しなさい
内への関心、外への無関心という、正しい向きに引っ繰り返しなさい

内と外、関心の向きを引っ繰り返しなさい



事実を自覚しなさい

幸福でないものを幸福であるものとする錯覚を、放棄しなさい
苦悩であるものを苦悩でないものとする錯覚を、放棄しなさい

幸福でないものを幸福でないものと、自覚しなさい
苦悩であるものを苦悩であるものと、自覚しなさい

幸福であるものを幸福であるものと、自覚しなさい
苦悩でないものを苦悩でないものと、自覚しなさい



あなたはただ、あなたとして在りなさい



満足の戒行とは、外側(苦悩:満足と不満の対象)に対する離欲無関心と、内側(幸福)に対する欲望関心へと導くための手引と言えるでしょう。


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