ヨガ

ヨガを一から習う

1-01

これよりヨガを解説する。

1-02

ヨガとは、心の作用を止滅することである。

1-03

心の作用が止滅されたとき、純粋観照者である真我は自己本来の態に留まることになる。

1-04

その他の場合では、真我は、心の色々な作用に同化した姿をとっている。

『ヨガ・スートラ』

ヨガ

ヨガとは、真実を悟るための行法である。真実を悟るとは、真我と呼ばれる真の自己、自己本来の態を自覚することであり、それは即ち、真我として在ることである。真我の原語である『ātman』は、「最も内側」を意味する『ātma』を語源としている。

心の作用が起こる時、真我はその様々な心の作用と同化した姿形をとる。故に真我本来の態を明らかにするには、心の作用を止滅させることが必要条件である。

表現不可能

真我は、真実、真理、根源、純粋観照者、純粋意識、純粋な気づき、純粋な存在、実在、絶対者、至上者、永遠、至福、愛、私であるもの、などとも表現される。しかし真我は、心を越えて在る故に、それを名前と形体で表現することは不可能である。

真我は、これでもなく、それでもなく、あれでもなく、何でもなく、無でもなく、空でもなく、などと、全ての名前と形体を否定した"ソレ"などとも表現される。

自己同一視

心(自我)は、「私は身体である」などと自己と身体との同一視から始まり、「私は男性である」「私は40歳である」「私は父親である」「私は会社員である」などと、自身と観念(名前と形体)とを同一視している。

これらの心の作用が想起する観念と自己同一視される「私は何々である」の一切を完全に止めること。それが、"ソレ"へと至るための方法である。

自己知識(明知)

観念との自己同一化という虚偽の一切を見破り尽くし、自己と観念との同一化を弁別した者、彼、彼女が真実を悟った者である。もはや彼、彼女は、自身のことを、如何なる観念を通しても認識してはいない。

それにもかかわらず(だからこそ)、彼、彼女だけが、自身が何者なのかを知っている。

真実を知るために、心の作用を止滅し、自己と観念との同一化を弁別することが、ヨガの意図であると言えるでしょう。


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