八支則3.調坐

ヨガを一から習う

2-46

坐り方は、安定した快適なものでなければならない。

2-47

安定した、快適な坐り方に成功するには、緊張を緩め、心を無辺なものへ合一させなければならない。

2-48

その時、行者はもはや、寒暑、苦楽、毀誉、褒貶の対立状況に悩まされることがない。

『ヨガ・スートラ』

3.調坐:アーサナ

姿勢を調える行法である。原語である『āsana』は、「 坐る、姿勢、停留坐り方、在り方、留まり方」などを示し、それは「瞑想法を行うに際しての坐り方」を示している。一般的には「坐法」と訳されている。

調坐の意図は、まず単純に、心をより精妙で内的な対象に慣れさせるためである。


そして、姿勢を調えることにより、気息を調え、感覚を調え、思想を調えるためである。

安定と快適

身体を通る力の流れが滞らないように、姿勢を通して制御することである。身体を通る力の流れが滞っていないとき、身体は余計な緊張を起こさず、そこに安定と快適が生まれる。

姿勢の状態とは、心の状態の異なる相であり、姿勢の不均衡性は、心の不均衡性を起こす。腑抜けていれば心は鎮静し眠りに落ちやすく、逆に力んでいれば心は興奮し動き回りやすい。そのために、腑抜けず力まず伸び伸びと軽やかに、最小限の力で上下と前後と左右の均衡をとり、快適に安定を保つことである。

身体は下向きの力(重力)の影響を大きく受けているので、地面に対して垂直な軸を身体の上下方向に通すことである。

純粋質(均衡性)

停滞質(鎮静性)と激動質(興奮性)の両極に偏ることなく、純粋質(均衡性)を保持する姿勢に制御することである。つまり腑抜けた姿勢と力んだ姿勢の両極に陥ることなく、伸び伸びと軽やかに、上下と前後と左右の均衡調和を維持することである。

例えるならそれは、弦楽器の調弦のようなものである。緩め過ぎれば締まりのない間延びした音になり、それは響くことなく直ぐに止んでしまう。逆に張り過ぎれば締まり過ぎの堅く短い音になり、やはり響くことなく直ぐに止んでしまう。調弦とは、この両極に偏ることなく、最も音が響き渡る加減に、弦の状態を調えることであり、調坐とは、最も力が流れ渡る加減に、身体の状態を調えることである。

心身が調うとは、心身の停滞質と激動質が収まり純粋質になることである。

無辺なもの

心を無辺なものへと合一させるとは、相対的観念による相対二元性を超えることであり、意識内に想起する観念を排除した心の不動状態である。即ちそれは三昧である。

真に姿勢が調うならば、元気が、中央気道を上昇し、三昧へと至る。心身が調うとき、月気道と太陽気道とに流れていた元気は中央気道に入る。


因みに、心身の純粋質を肉体的操作により生み出そうとする一連の技法体系が、ハタ・ヨガと呼ばれている。



調坐


骨を積んで、骨で均衡をとる

坐面に対し、重みが垂直に流れる様に、骨盤(仙骨)の位置を調える
骨盤に対し、重みが垂直に流れる様に、胸郭(胸骨)の位置を調える
背骨に対し、重みが垂直に流れる様に、頭蓋(顎先)の位置を調える
骨盤、背骨、頭蓋が、丁寧に重ねられた積み木の様に、均衡している



腑抜けず力まず、伸び伸びと軽やかに

頭蓋は背骨に支えられるが、頭蓋を背骨にもたれさせてはいけない
背骨は骨盤に支えられるが、背骨を骨盤にもたれさせてはいけない
骨盤は坐面に支えられるが、骨盤を坐面にもたれさせてはいけない



骨盤上部(下腹部)が程よく締まる

上からの力は背骨を下向きに流れ、骨盤底は垂直に大地へと押し下がる
下からの力は背骨を上向きに流れ、頭蓋頂は垂直に天井へと押し上がる
最小限の力で上下前後左右の均衡はとれ、心はその緊張から解放される



姿勢を調える事は、心を調える基盤である



調坐とは、瞑想法の土台作りであると言えるでしょう。

留意

※ 坐面や坐椅子の調整などによっても、余計な筋力を要せず骨盤を垂直に維持する工夫をすること


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