【勧戒③】自制

ヨガを一から習う

2-43

自制を行ずるならば、心身の不浄が消え去るから、体と諸感官の超自然的能力が現れる。

『ヨガ・スートラ』

③ 自制:タパス

自制しなさい、という勧奨戒律である。原語である『tapas』は、「熱、熱する、火、焼く」などを示し、一般的には「苦行」などとも訳されている。

自制の戒行の意図は、まず単純に、人生における重要事項と非重要事項との区別を自覚することである。


そして、非観照者(対象)への無関心、観照者(主体)への関心により、心の散動状態をいじする習慣を排除し、心の不動状態を維持する習慣、即ち観照者へ留まる能力を獲得し、自己と対象との同一化を弁別し、無明を除去することである。

対抗思想:原因と結果の理解

自制の戒行に背こうとする思想に対抗する思想とは、非観照者への無関心を起こす思想である。

まず単純に、非観照者を放棄し、観照者と関わることである。その本質は、非観照者を放棄しようとする動機、即ち非観照者への無関心がどれ程であるかどうかに加え、観照者と関わろうとする動機、即ち観照者への関心がどれ程であるかどうかである。故に、非観照者への無関心、観照者への関心を徹底したものとするために、苦悩の起こる原因と結果の関係性を明確に理解し、錯覚を錯覚として明確に理解することである。

まず、非観照者への関心、観照者への無関心は、無明を根因とし、我想を原因とした貪愛と憎悪(欲望と恐怖)により起こることを、明確に理解することである。次に、非観照者への関心こそが、欲望と恐怖への束縛を反復させ、苦悩の経験を永続させる要因なのであり、観照者への関心こそが、欲望と恐怖からの解放であり、苦悩の経験を終焉させる方法であることを、明確に理解することである。直接的には、非観照者を非観照者として自覚し、観照者を観照者として自覚することである。

そのために、常時、観照者としての私を忘れないことである。

不注意と注意

ヨガとは心の制御法である。常に自身の態度を制御するには、常に注意(自覚、観照、意識、気づき)を保持していなければならない。故にここでは自制の戒行を、心の不注意(非観照態度)を除去していき、心の注意性(観照態度)を獲得していく行法であると位置づける。

最終的には、外側にある全ては観照される対象であると理解することにより、その全てを放棄し、観照そのもの(純粋観照者)へ至ろうとするものである。

あらゆることを慎む

日頃より、不要な色形を見ず、不要な音を聞かず、不要な芳香を香らず、不要な食味を摂らず、不要な体感を与えず、不要な思想を浮かべず、更に不要な言葉を語らず、不要な行動を行わず、不要な人物と交わらず、不要な物品を持たずなどと、不要な物事へ関心を向けないことが、自制の戒行の始まりである。

全ては不要な観られるもの(投影)であると放棄し、観るもの(照明)として在る地点が、その終わりである。

苦行

禁欲と自虐

苦行とは、故意に快楽を奪う禁欲行と、故意に苦痛を与える自虐行である。それは禁欲と自虐により、欲望と恐怖を自己制御の下に置こうとする試みであろう。ゴータマも解脱への探究を進める中、欲望と恐怖こそが苦悩の原因であることを理解して行ったはずである。

彼も欲望と恐怖を克服するために6年もの間、死に物狂いで様々な苦行、或いは探究を試みたと伝わる。

あるがままの受容

ゴータマは、苦行では欲望と恐怖は自制できないと判断し、苦行林を去った。その後、体力を回復し身を清め、菩提樹の下で覚悟を決めて瞑想に入る。

その中で、欲望と苦痛に抵抗すること自体が苦であり、欲望と恐怖を共に受容することこそ、欲望と恐怖を克服する方法であることを理解したのかもしれない。

熱心

瞑想に入って7日後、ゴータマは真我を覚りブッダと成ったと伝わる。7日という短期での真我実現は、苦行であれ瞑想であれ、死をも覚悟し熱心に探究したことによるはずである。

あるがままを見抜き、執着から離れることを可能にしたこの熱心さこそ、真の苦行と言え、最も重要な態度である。



自制


観照者として在りなさい

定義付けによる、自分と他者の区別を越えて、観照者として在りなさい
己へと去来する、快楽と苦痛の区別を越えて、観照者として在りなさい
自ずから起こる、あるがままの状況を越えて、観照者として在りなさい

あなたの本性である、観照者として在りなさい


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苦悩の原因を理解しなさい

観られるものを観るものであるとする錯覚
照明でないものを照明であるものとする錯覚
投影であるものを投影でないものとする錯覚

それが苦悩の根因である

自己による観照と心による認識作用とを同一であるとする錯覚

それが、快楽と苦痛に関心を起こす原因である。

快楽と苦痛へと関心を持つ事

それが、欲望と恐怖に支配される原因である

欲望と恐怖に支配される事

それが、あらゆる苦悩の原因である



外への関心が誤りである

内側に常在する照明であるものに関心をもたない事が、苦悩の種である
外側で生滅する投影であるものへ関心を持つ事こそが、苦悩の種である

それは、欲望と恐怖に支配される、地獄への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行への束縛の道である

外への関心、内への無関心こそが、誤り-苦悩-である



内への関心が正しさである

外側で生滅する投影であるものへ関心を持たない事が、幸福の扉である
内側に常在する照明であるものに関心を持つ事こそが、幸福の扉である

それは、欲望と恐怖から自由に成る、天国への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行から解脱の道である

内への関心、外への無関心こそが、正しさ-幸福-である



関心の向きを引っ繰り返しなさい

外側へ、照明を探すのは愚かである
内側に、照明を探すのは賢さである

求めて止まないソレは、外側には有り得ない事を理解しなさい
求めて止まないソレは、内側にのみ有り得る事を理解しなさい

世界は、投影に満ちている事を理解しなさい

外側への努力は、不毛であると自覚しなさい
その明らかな不毛さを自覚し、その努力を手放しなさい

内側への努力は、肥沃であると自覚しなさい
その明らかな肥沃さを自覚し、その努力に献身しなさい

外への関心、内への無関心という、誤った向きを引っ繰り返しなさい
内への関心、外への無関心という、正しい向きに引っ繰り返しなさい

内と外、関心の向きを引っ繰り返しなさい



事実を自覚しなさい

観られるものを観るものとする錯覚を、放棄しなさい
照明でないものを照明であるものとする錯覚を、放棄しなさい
投影であるものを投影でないものとする錯覚を、放棄しなさい

観られるものを観られるものと、自覚しなさい
照明でないものを照明でないものと、自覚しなさい
投影であるものを投影であるものと、自覚しなさい

観るものを観るものと、自覚しなさい
照明であるものを照明であるものと、自覚しなさい
投影でないものを投影でないものと、自覚しなさい



あなたはただ、あなたとして在りなさい



自制の戒行とは、外側(投影対象)に対する離欲無関心と、内側(照明主体)に対する欲望関心へと導くための手引と言えるでしょう。


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