八支則2.勧戒
2-32
勧戒には、浄化、満足、自制、自己探究、真我信愛の5つがある。
『ヨガ・スートラ』
2.勧戒:ニヤマ
勧奨している態度を示す戒律である。原語である『niyama』は、「第二の、次の、準」などを示す『ni』と、「戒律、規定、掟」などを示す『yama』とからなり、それは「第二戒律、次の規定」などを示している。それは次の5つである。
- 浄化 …… 浄化しなさい
- 満足 …… 満足しなさい
- 自制 …… 自制しなさい
- 自己探究 …… 自己を探究しなさい
- 真我信愛 …… 真我を信愛しなさい
これらは、離欲(非真我への無関心)と、修習(真我への関心)を提示している。
勧戒の意図は、まず単純に、人生における重要事項と非重要事項との区別を自覚することである。
そして、非真我(非常在、非清浄、非幸福、非自己)への無関心、真我(常在、清浄、幸福、自己)への関心により、心の散動状態をいじする習慣を排除し、心の不動状態を維持する習慣、即ち真我へ留まる能力を獲得し、自己と対象との同一化を弁別し、無明を除去することである。
対抗思想:原因と結果の理解
勧戒に背こうとする思想に対抗する思想とは、快楽と苦痛への無関心を起こす思想である。
まず単純に、非真我を放棄し、真我と関わることである。その本質は、非真我を放棄しようとする動機、即ち非真我への無関心がどれ程であるかどうかに加え、真我と関わろうとする動機、即ち真我への関心がどれ程であるかどうかである。故に、非真我への無関心、真我への関心を徹底したものとするために、苦悩の起こる原因と結果の関係性を明確に理解し、錯覚を錯覚として明確に理解することである。
まず、非真我への関心、真我への無関心は、無明を根因とし、我想を原因とした貪愛と憎悪(欲望と恐怖)により起こることを、明確に理解することである。次に、非真我への関心こそが、欲望と恐怖への束縛を反復させ、苦悩の経験を永続させる要因なのであり、真我への関心こそが、欲望と恐怖からの解放であり、苦悩の経験を終焉させる方法であることを、明確に理解することである。直接的には、非真我を非真我として自覚し、真我を真我として自覚することである。
そのために、常時、真我としての私を忘れないことである。
あらゆることを慎む
日頃より、不要な色形を見ず、不要な音を聞かず、不要な芳香を香らず、不要な食味を摂らず、不要な体感を与えず、不要な思想を浮かべず、更に不要な言葉を語らず、不要な行動を行わず、不要な人物と交わらず、不要な物品を持たずなどと、不要な物事へ関心を向けないことが、勧戒の始まりである。
全ては不要なものであると放棄し、真我として在る地点が、その終わりである。
心の逆転変
関心の向きを外側(非真我)から内側(真我)へ、即ち、心を煩悩性から非煩悩性へと逆転させることを狙っている。
最終的には、外側にある全ては苦悩の種であると理解することにより、その全てを放棄し、内なる真我へと至ろうとするものである。
勧戒
定義付けによる、自分と他者の区別を越えて、真我として在りなさい
己へと去来する、快楽と苦痛の区別を越えて、真我として在りなさい
自ずから起こる、あるがままの状況を越えて、真我として在りなさい
あなたの本性である、真我として在りなさい
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常在でないものを常在であるものとする錯覚
清浄でないものを清浄であるものとする錯覚
幸福でないものを幸福であるものとする錯覚
自己でないものを自己であるものとする錯覚
それが苦悩の根因である
自己による観照と心による認識作用とを同一であるとする錯覚
それが、快楽と苦痛に関心を起こす原因である。
快楽と苦痛へと関心を持つ事
それが、欲望と恐怖に支配される原因である
欲望と恐怖に支配される事
それが、あらゆる苦悩の原因である
内側に常在する真我のみに関心をもたない事が、苦悩の種である
外側で生滅する真我以外へ関心を持つ事こそが、苦悩の種である
それは、欲望と恐怖に支配される、地獄への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行への束縛の道である
外への関心、内への無関心こそが、誤り-苦悩-である
外側で生滅する真我以外へ関心を持たない事が、幸福の扉である
内側に常在する真我のみに関心を持つ事こそが、幸福の扉である
それは、欲望と恐怖から自由に成る、天国への道である
際限のない欲望と恐怖を繰り返す、果てしない苦行から解脱の道である
内への関心、外への無関心こそが、正しさ-幸福-である
外側へ、常在、清浄、幸福、自己を探すのは愚かである
内側に、常在、清浄、幸福、自己を探すのは賢さである
求めて止まないソレは、外側には有り得ない事を理解しなさい
求めて止まないソレは、内側にのみ有り得る事を理解しなさい
世界は、変化、汚濁、苦悩、虚偽に満ちている事を理解しなさい
外側への努力は、不毛であると自覚しなさい
その明らかな不毛さを自覚し、その努力を手放しなさい
内側への努力は、肥沃であると自覚しなさい
その明らかな肥沃さを自覚し、その努力に献身しなさい
外への関心、内への無関心という、誤った向きを引っ繰り返しなさい
内への関心、外への無関心という、正しい向きに引っ繰り返しなさい
内と外、関心の向きを引っ繰り返しなさい
常在でないものを常在であるものとする錯覚を、放棄しなさい
清浄でないものを清浄であるものとする錯覚を、放棄しなさい
幸福でないものを幸福であるものとする錯覚を、放棄しなさい
自己でないものを自己であるものとする錯覚を、放棄しなさい
常在でないものを常在でないものと、自覚しなさい
清浄でないものを清浄でないものと、自覚しなさい
幸福でないものを幸福でないものと、自覚しなさい
自己でないものを自己でないものと、自覚しなさい
常在であるものを常在であるものと、自覚しなさい
清浄であるものを清浄であるものと、自覚しなさい
幸福であるものを幸福であるものと、自覚しなさい
自己であるものを自己であるものと、自覚しなさい
勧戒とは、非真我に対する離欲無関心と、真我に対する欲望関心へと導くための手引と言えるでしょう。