ヨガの八支則
2-29
ヨガは次の八支則からなる。― 禁戒、勧戒、坐法、調気、制感、凝念、静慮、三昧。
2-17
観るものと観られるものの結びつきこそが、除去すべき苦の原因である。
2-24
この結びつきの原因となるのは無明である。
2-25
したがって、無明がなくなった時には、観るものと観られるものとの結びつきもまた無くなる。これが除去というものであり、観るものの独存位である。
2-26
除去のための方法は、ゆるがない弁別智である。
2-28
ヨガの諸支則を修行していくにつれて、次第に心の汚れが消えていき、それに応じて英智の光が輝きを増し、終には弁別智が現れる。
『ヨガ・スートラ』
八支則
ヨガの8つの修行段階である。原語である『aṣṭāvaṅga』は、「8」を示す『aṣṭāu』と、「部門、四肢、手足」などを示す『aṅga』とからなり、それはつまり「ヨガ達成の支え、土台となる8つの方法」を示している。一般的には「八部門、八階梯」などとも訳されている。それは次の8つである。
- 禁戒 …… 禁止している態度
- 勧戒 …… 勧奨している態度
- 坐法 …… 姿勢を調える行法
- 調気 …… 気息を調える行法
- 制感 …… 感覚を調える行法
- 凝念 …… 注意を留める行法
- 静慮 …… 注意が留まる状態
- 三昧 …… 主体が消える状態
これらは戒律行(1、2)と瞑想行(3〜8)からなる。
八支則の意図は、心の散動状態を維持する習慣を排除し、心の不動状態を維持する習慣、即ち真我へ留まる能力を獲得し、自己と対象との同一化を弁別し、無明を除去することである。
戒律行
戒律行こそが目的への心構え、即ち指針であり、その先の進展を大きく左右する基盤である。指針は修行の動力源、加速器であり、指針がぶれていては、いつまでも目的地に辿り着けないのは当然である。指針が定まれば定まる程に修行は進展していく。
長年瞑想行に取り組んでも進展しない者は、心構えが疎かになっていないかを確認すると良い。
結局のところ、戒律行を制する者が、ヨガを制するのである。故に、決して戒律を軽んじてはならない。
<ひとつ>の方法
戒律行とは、日常における修習と離欲の実践であり、瞑想行とは、坐法における修習と離欲の実践である。戒律行で修習と離欲を習慣づけていくことが、瞑想行でも修習と離欲を習慣づけていくことになる。逆に、瞑想行で修習と離欲を習慣づけていくことが、戒律行でも修習と離欲を習慣づけていくことになる。
最終的には、戒律行と瞑想行、即ち日常と坐法は、<ひとつ>の行法とならなければならない。
修行の段階
これらの8段階は、粗雑で外的か、精妙で内的かに従い、分かりやすく異なる名前で示されてはいるものの、その全ては心の制御であり、心の均衡性(不動性、純粋性など)を育てる同じ<ひとつ>の行法である。
故に、一つひとつの行法の進展は、全8行法の進展を意味している。
外的環境 〜 内的環境(姿勢 ~ 気息 ~ 感覚 ~ 心意)と、粗雑から精妙にかけて段階的に全ての停滞質と激動質への傾きを除去していくのがヨガの八支則と言えるでしょう。
1.理解の段階
先ずこれら8段階は、より粗雑で外的な対象の理解から、より精妙で内的な対象の理解へと段階的に速やかに移行していくよう構成されている。それは各段階において『対象』と『自分』との関係性を学習し、それを理解し、それを秩序化し、そこに調和をもたらし、心の均衡性(不動性、純粋性など)を育んでいくものである。これはまた、子供から大人への成長過程に同じである。
人生最初の段階は、より粗雑で外的な『社会的環境』との関係性を理解し秩序化するために社会的道徳、慣例など、禁止している態度を基礎に、勧奨している態度を学ぶ。次には、より精妙で内的な『肉体的環境』との関係性を理解し秩序化するために、姿勢を調える行法を基礎に、気息を調える行法を学ぶ。更には、より精妙で内的な『精神的環境』との関係性を理解し秩序化するために、感覚を調える行法を基礎に、注意を留める行法を学ぶ。
そして人生最後の段階は、『自分』と『対象』との関係性を超え、心を超え、精妙極まる内奥【真我】へと至ることである。
2.関心の段階
またこれらの8段階は、より粗雑で外的な対象への関心から、より精妙で内的な対象への関心へと段階的に速やかに移行していくよう構成されている。それは各段階において、『対象』と幸福との関係性を学習し、それを理解することにより、自分にとっての重要事項が移行することである。
人生最初の段階は、より粗雑で外的な社会的地位や名誉などに幸福があると信じ、それを重要視するため、そこへ関心が向く。次には、より精妙で内的な肉体的健康や快活などに幸福があると信じ、それを重要視するため、そこへ関心が向く。更には、より精妙で内的な精神的健康や静寂などに幸福があると信じ、それを重要視するため、そこへ関心が向く。
そして人生最後の段階は、精妙極まる内奥【真我】に幸福があると信じ、それを重要視するため、そこへ関心が向く。
3.探究の段階
即ちこれらの8段階は、より粗雑で外的な対象への探究から、より精妙で内的な対象への探究へと段階的に速やかに移行していくよう構成されている。それは各段階において、『対象』と自己との関係性、『対象』と幸福との関係性を学習し、それを理解することにより、「幸福とは何か? 自己とは何か?」という問いへの探究が移行することである。
人生は最初の段階から最後の段階まで探究である。人生最後の段階は、精妙極まる内奥【真我】の探究であり、真我に至ることが探究の終焉である。
八支則とは、修習と離欲の対象が、より粗雑な対象からより精妙な対象へと段階的に移行していくよう意図されている具体的実践方法と言えるでしょう。
結局のところ。ヨガとは「私とは何か?」という根本的問題を解決するそのために、「私」の構造すべてが解明されるまで、より粗雑な段階からより精妙な段階へと関心を進め、探究を進め、理解を進め、解体を進め、その本性を見破ろうとする技なのじゃ。
つまり、段階的に「私」の本性に迫ることが八支則の意図ということですね。
そうじゃ。瞑想とは、粗雑から精妙に至るまでのすべての対象を「私ではないもの」として「私」から弁別、放棄していく過程であり、すべての対象を超えてゆこうとする試みなのじゃ。