ヨガ・スートラの要点
「ヨガ」という言葉自体は、古くはインドの聖典『ヴェーダ』の中にもしばしば使用されていますが、4~5世紀ごろになって、「ヨガ」を1つの修行体系として、ひとまとめに編纂した書物が『ヨガ・スートラ』と言われています。
1.ヨガの定義
1-01
これよりヨガを解説する。
1-02
ヨガとは、心の作用を止滅することである。
1-03
心の作用が止滅されたとき、純粋観照者である真我は自己本来の態に留まることになる。
1-04
その他の場合では、真我は、心の色々な作用に同化した姿をとっている。
解説
心の作用を止滅することが「ヨガ」であると説かれています。そして、心の作用が止滅したとき自己は本来の態に留まるとしています。
2.煩悩:心の作用
1-05
心の作用には5つの種類がある。それらには煩悩性と非煩悩性のものとがある。
2-03
煩悩には、無明、我想、貪愛、憎悪、生命欲などがある。
2-05
無明とは、非常、非浄、非楽、非我であるものに関して、常、浄、楽、我であると考える見解をいう。
2-06
我想とは、観る主体である力と、観る作用である力とを一体であるかの如くに思い込むことである。
2-07
貪愛とは、快楽に囚われた心情である。
2-08
憎悪とは、苦痛に囚われた心情である。
2-13
煩悩という根因があるかぎり、業遺存の異熟果である境涯と寿命と経験が発現する。
解説
ヨガへ至るのを邪魔する心の作用は煩悩と呼ばれています。無明は、すべての煩悩の原因、つまり、人生苦を経験する原因ですから、この無明を除去することがヨガの目的である訳です。
無明:
自己ではないものを自己であるとする心の作用。「むみょう」と読む。無知(むち)、誤謬(ごびゅう)などとも呼ばれる。
我想:
自己の観照する能力と、心の認識する能力とを同一であるとする心の作用。「がそう」と読む。
貪愛:
快楽を欲し求める心の作用。「とんあい」と読む。
憎悪:
苦痛を恐れ避ける心の作用。「ぞうお」と読む。
3.ヨガへ至るための2つの方法
1-12
心の様々な作用を止滅するには、修習と離欲という2つの方法を必要とする。
1-13
この2つの止滅法のうち、修習とは、心の作用の静止を目指す努力のことである。
1-15
離欲とは、現に見、あるいは伝え聞いたすべての対象に対して無欲になった人のいだく、克服者としての自覚である。
解説
修習と離欲がヨガへ至るための2つの方法であると説かれています。修習は、心意を内側(認識の主体)に留める努力、あるいは心意が外側(認識の対象)に向かないようにする努力のことです。離欲は、心意が外側へ向かなくなった状態です。それは認識対象への興味関心を失い、心意が認識対象へ向かなくなった状態です。
修習:
心意を内側(認識の主体)に留めようとする努力。あるいは心意が外側(認識の対象)に向かないようにする努力。「しゅうじゅう」と読む。
離欲:
心意が外側(認識の対象)へ向かなくなる状態。外側への興味関心を失い、心意が外側へ向かなくなった状態。「りよく」と読む。
修習は、心意を内側(認識主体)に留める習慣作りと言え、一方の離欲は、心意が外側(認識対象)に向く習慣が止まった状態と言えるでしょう。
4.ヨガへ至るための条件
1-21
解脱を求める強い熱情を持つ行者たちには、ヨガの成功は間近い。
解説
ヨガへ至るためには、人生苦からの解放をどれだけ強く求めているかが重要な条件になると説かれています。ヨガの目的は人生苦からの解放にあり、それは人生から逃れたい人のための行法であり、人生を楽しみたい人のための行法ではない訳です。
5.八支則
2-26
解脱のための方法は、ゆるがない弁別智である。
2-28
ヨガの諸支則を修行していくにつれて、次第に心の汚れが消えていき、それに応じて英智の光が輝きを増し、終には弁別智が現れる。
2-29
ヨガは次の八支則からなる。― 禁戒、勧戒、坐法、調気、制感、凝念、静慮、三昧。
解説
『ヨガ・スートラ』の中で、その修行体系が整然と説かれている部分が、八支則と呼ばれています。八支則は、自己と自己ではないものとを弁別する智恵を発現するための8つの修行法、あるいは修行段階であり、修習と離欲の具体的な実践方法といえるでしょう。
1.禁戒:
瞑想状態へ導くための5つの禁止戒律
2.勧戒:
瞑想状態へ導くための5つの勧奨戒律。
3.坐法:
瞑想状態へ導くための姿勢操作
4.調気:
瞑想状態へ導くための呼吸操作
5.制感:
瞑想状態へ導くための心理操作1
6.凝念:
瞑想状態へ導くための心理操作2。「ぎょうねん」と読む。
7.静慮:
瞑想状態。「じょうりょ」と読む。
8.三昧:
忘我状態、認識主体と認識客体の合一。「さんまい」と読む。
八支則は、戒律行(1、2)と、瞑想行(3〜8)からなります。そのすべては瞑想状態へ導くためにあると言えるでしょう。
1.禁戒
2-30
禁戒には、非暴力、非虚言、非偸盗、非交際、非所有の5つがある。
解説
暴力を振るうこと、嘘をつくこと、盗むこと、交際すること、所有物を持つことの5つの行為を禁止しています。その意図は、外側(自己以外)への関心を離すことにあると言えるでしょう。
2.勧戒
2-32
勧戒には、浄化、満足、自制、自己探究、真我信愛の5つがある。
解説
浄化すること(煩悩を減らすこと)、満足すること、自制すること、自己を探究すること、真我を信愛することの5つの行為を勧奨しています。その意図は、内側(自己)へと関心を向けることにあると言えるでしょう。
3.坐法
2-46
座り方は、安定した、快適なものでなければならない。
2-47
安定した、快適な座り方に成功するには、緊張をゆるめ、心を無辺なものへ合一させなければならない。
解説
坐法とは、安定した快適な姿勢に調えることであると説かれています。その意図は、呼吸を調えやすくすることにあると言えるでしょう。
4.調気
2-49
さて、坐りが調ったところで、調気を行ずる。調気とはあらい呼吸の流れを断ち切ってしまうことである。
2-50
調気は外へ向かう呼気、内へ向かう吸気、停頓する保気とからなり、空間と時間と数によって測定され、そして長くかつ細い。
2-51
内外へ向かう働きをことごとく捨て去ったのが第4の調気である。
2-52
調気を行ずることによって、心の輝きを覆い隠していた煩悩が消え去る。
2-53
そのほか、心意が色々な凝念に堪えられるようになる。
解説
調気とは、呼吸のペースを穏やかにし、最後には止まるように促すことであると説かれています。その意図は、制感と凝念をしやすくすることにあると言えるでしょう。
5.制感
2-54
制感とは、諸感覚器官が、それぞれの対境と結びつかなくなって、心の自体の模造品のように見える状態をいう。
解説
制感とは、注意が五感に向かなくなった状態であると説かれています。その意図は、五感からの情報がシャットアウトされることにより、凝念しやすくすることにあると言えるでしょう。
6.凝念
3-01
凝念とは、心意を特定の場所に縛りつけることである。
解説
凝念とは、1つの対象に注意を向け続ける努力のことであると説かれています。その意図は、直接的に瞑想状態へ導くことにあると言えるでしょう。ある1つの対象に注意を向け続けることにより、やがて雑多な想念は消え去り、瞑想状態(静慮)が訪れるのです。
7.静慮
3-02
静慮とは、凝念に引き続いて、凝念の対象となったのと同じ場所を対象とする想念が一筋に伸びていくことである。
解説
静慮とは、凝念の対象に無努力に注意が向き続けている状態であると説かれています。その意図は、三昧へ導くことにあると言えるでしょう。ある1つの対象に注意が向き続けることにより、やがて認識主体(自我)の想起が止まり、忘我状態(三昧)が訪れるのです。
8.三昧
3-03
その同じ静慮が、外見上、その1つの客体ばかりになり、自体をなくしてしまったかのようになったときが、三昧と呼ばれる境地である。
解説
三昧とは、認識の主体である自我が認識されていない状態であり、認識の対象のみが認識されている状態であると説かれています。その意図は、心の作用の止滅、つまりヨガへ至ることにあると言えるでしょう。
注意
ヨガを学んでいる多くの人が勘違いをしているのですが、いわゆる「三昧」は未だヨガに至っていません。それは未だ「心の認識作用」が残っているからです。ここからさらに心の認識作用が止まったとき、それが心の作用の止滅、つまりヨガに至ったときです。
6.独存位
4-34
末文
独存位とは、真我のためという目標のなくなった3気質が、その本源へ没入し去ることである。あるいは、純粋精神である真我が自体に安住することだ、といってもよい。
解説
独存位とはヨガに至った状態のことです。これは『ヨガ・スートラ』の最後として編纂されている文章ですが、最初に説かれている内容の確認とも言える内容です。3気質とは、心の作用を起こしている3種類のエネルギーのことであり、このエネルギーが没入し去ることにより、心の作用は止滅するということです。そしてそれはまた、自己が自己として安住することだと説かれています。
7.まとめ
- ヨガとは、人生から逃れるための方法
- ヨガとは、修習と離欲を実践すること
- ヨガとは、本来の自己に安住すること
人生苦から逃れるために、修習と離欲を実践し、本来の自己に安住しようとすることが、ヨガの目的であると言えるでしょう。
参考にした文献