四行法2.調気
2-01
ヨガ行者は体位が確実にできるようになったうえで感覚を克服し、健全食を程々にとり、ヨガ教師に教えられた方式に従って、調気行法を修練すべきである。
2-02
生気が動くと心意も動く。生気が動かなければ心意も動かなくなる。ヨガ行者は不動心に達しなければならない。だから、生気の動きを制止すべきである。
2-04
気道に汚物が詰まっていると、生気は身体の中央を通る中央気道を流れない。そのような場合に、どうして忘我の状態が起こり得よう。また、どうして修行目的の達成があり得よう。
2-06
それだから、中央気道の中にある汚物がきれいになくなるように、絶えず純粋質の智をもって調気をなすべきである。
2-15
ライオンや象や虎の如き猛獣でも、徐々に馴らすことができるように、生気も修練を続けていけば、終には制御することができるようになる。さもなくにわかに制御しようとすると、かえって修行者を害することになる。
2-16
調気を正しく行じていくならば、いっさいの病が無くなるであろう。しかし、修練の仕方を誤ると、かえってあらゆる病が発生する。
2-17
誤った仕方で調気をすると、気が興奮する結果、しゃっくり、喘息、咳、及び頭、耳、眼などの痛みなど、色々な病気が発生する。
2-18
それ故、あくまでも正しく生気を吐き、あくまでも正しく生気を満たし、あくまでも正しく生気を保留しなければならない。かくして、ハタ・ヨガの目的を達成することができる。
2-41
調気を規定通りに修練した結果、気道の組織が清掃されたときには、気は容易に中央気道の入口を開いて、その中に入る。
2-42
生気が中央気道を流れるならば心が不動になる。心が不動であることをマノーマニー状態という。
2-73
呼気も吸気もないとき、単なる保気に成功する。この単独の保気こそは真の調気であると言われる。
2-75
単独の保気によってクンダリニーが覚醒し、ラージャ・ヨガの段階に達する。このことは疑問の余地がない。
2-76
クンダリニーの覚醒によって、中央気道の汚物が清掃され、ハタ・ヨガの完成が実現する。
2-77
保気による止息状態のなかで、心意をあらゆる対象から引き離すべし。かような修行の仕方によってラージャ・ヨガの段階に達することができるのである。
『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』
調気:プラーナーヤーマ
気息の制御を中心とする修行法である。原語である『prāṇāyāma』は、「生気、気息」などを示す『prāṇa』と、「制御、制止、延長」などを示す『āyāma』とからなり、それは「生気制御、気息延長」などを示している。一般的には「調気法、呼吸法、プラーナーヤーマ」などとも訳されている。
教典は基本の調気(気道の浄化)の他に、8種類の保気を示している。それは次の8つである。
- 太陽気道の貫通 …… 太陽気道の詰まりを排除する調気
- 膨張制御 …… 声帯を締め、呼吸を制御する調気
- 音を立てる …… 唇間に舌を当て、音を立てて行う調気
- 清涼 …… 唇外に舌を巻き出し、涼風を取り入れる調気
- 鞴(ふいご) …… 鞴のように、素早く力を込めて行う調気
- 雌蜂 …… 羽音を立て、急速に吸気し安穏に呼気する調気
- 失神 …… 喉の締付を厳しく極める調気
- 水中浮揚 …… 生気で胸腔内を充分に満たす調気
これらは、経典には「調気」としてではなく「保気」と示してある。つまり、調気行法の中核、あるいは意図が、保気にあることを明示している。
調気の意図は、体位行法に比べ、より強力に、より精妙に、より直接的に、心身に作用する停滞質と激動質への偏りを純粋質に均すことである。つまりは心身のバランスを図ることである。
ここでは、基本の調気(気道の浄化)を解説することにし(次のレッスン)、それ以外の実践方法の詳細は割愛する。
保気:心気の制止
保気とは、吸気から呼気への間において、生気の流れを制止する行為である。原語である『kumbhaka』は、「瓶、壺、溜める」などを示している。一般的には「止息、保息、クンバカ」などとも訳されている。その言葉通り、体内に溜め込んだ生気を保持する行為が保気である。
ハタ・ヨガの修行法は、全ての作用は生気の動きによるという立場から、生気の流れを制止することにより、心意の作用を制止しようとすることが最終的な狙いである。
気道と三気質
気道とは生気の流れ道を示している。原語である『nadi』は「川、流れ」などを示している。一般的には「気道、経絡、ナーディ」などとも訳されている。
調気行法では、停滞質と激動質を制止するために、生気が月気道と太陽気道に流れるのを堰き止め、それを中央気道に導こうとする行法である。
それはまた、中央気道の流れを邪魔する2つの井堰(停滞質と激動質)を浄化し、その流れをスムーズにする行法であるとも表現できるであろう。
純粋質の智(客観性)
ハタ・ヨガの修行法は全て、粗雑さ(停滞質)と粗暴さ(激動質)を慎み、安穏さ(純粋質)をもって、注意深く行うべきである。しかし、体位行法がより粗雑な肉体的側面の制御であるのに対し、調気行法はより精妙な生気的側面の制御である。つまり調気行法は、心身の作用により直接的に影響を及ぼそうとする行法である。心身の作用に直接的に影響を及ぼすとは、取り組み方次第でバランスを調えもすれば狂わせもする諸刃の剣であることを示している。故に、調気行法は決して粗略、粗暴に行わず、より注意深く、より安穏に行うべきである。
結局のところ、ハタ・ヨガの根底にあるべき指針とは、身体制御を通して、主観性を伴う緩慢/粗暴な行為を減退(非習慣化)していき、客観性を伴う安穏な行為を増進(習慣化)していくことである。
制感と凝念
心意をあらゆる対象から引き離すこと―― 制感 ――とは、逆に言えば、調気行法以外の対象に心意が向かないように、全ての注意を調気行法に向けること―― 凝念 ――を説いている。
結局のところ生気の制御もまた、心意による制御であり、全ての行法は心意の制御/制止をその狙いとしている。
注意
※ 粗略、粗暴に行わず、安穏に行うこと
※ 鼻の通りが滞っているときは行わないこと