ラージャ・ヨガ
4-002
今や私は、最も優れた三昧の色々な段階について説こう。これこそは死を破り、幸福への手段となり、梵の妙楽をもたらすものである。
4-003
~
004
ラージャ・ヨガ、三昧、ラヤ、ウンマニー、マノーマニー、不死性、真実在、空不空、至上の境地、無心地、不二、無所依、無垢、現世解脱、生得、第四境地などというのは全て同義語である。
4-008
ラージャ・ヨガの霊験を本当に知る人は誰か? 真実明知、解脱、不動心、霊能などはヨガ教師の教えによって得られる。
4-009
世俗的享楽の捨離は難しい。生得の境地は得難い。正しいヨガ教師の仁慈が無くては。
4-062
知られるべき物事を完全に捨てることによって、心理的な現象も消滅する。心理的な現象の消滅が実現したとき、真我独存の状態だけが残る。
4-114
末文
生気が中央気道を通って梵穴に流入しない限り、また生気の風を緊束する結果として精液が不動とならない限り、また瞑想の中で心が自己本来の姿に等しくならない限り、どんな知識を説こうとも、それは慢心から出た偽りの饒舌に過ぎない。
『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』
ラージャ・ヨガ
三昧:サマーディ
ラージャ・ヨガと同じように、ヨガの成就を示している。そうであるならば、三昧に段階などあり得ない。どんな競技であれ、段階があるのはゴールに到達するまでの過程の方であり、ゴールとは到達するか/しないか、のどちらかである。
即ち、ラージャ・ヨガと名付けられたヨガの目的に到達するとは、全てのすべての終焉を意味している。
真我独存
真我のために現象を転変させている停滞質、激動質、純粋質の三気質がその本元へ没すること(心の作用が消滅すること)である。それはまた、純粋そのものである真我が、それ自体に留まる境地、真我としてただ在る境地である。
ヨガ教師:グル
ヨガの教えを示す指導者である。原語である『guru』は、「無知、暗闇」などを示す『gu』と、「取り払う、照明」などを示す『ru』とからなり、その言葉通りヨガ教師とは、探究者の無知の暗闇を取り払う証明の役割を果たす者とされる。一般的には、「熟練者、師匠、グル」などとも訳されている。
より具体的には、無知の除去(探究の成就)があるという事実、無知の除去ができるという確信(自信)、無知を除去するための動機、無知を除去するための手段など、探究者の段階に合わせて、適切な言葉を適切に伝える者である。
慢心から出た偽りの饒舌
本書で解説されている言葉、文字、絵図は、正しくも誤りでもない。言葉は単なる音声に過ぎず、文字や絵図は単なる色形に過ぎない。言葉、文字、絵図の指し示すところに真実はあり、真実は言葉と形体を超えている。本書が真実を指し示しているのか、偽りの饒舌を示しているのかその答えは、各人の内側にのみある。
たとえヨガ教師の言葉であろうと、それは真実への道を照らす燈火(プラディーピカー)に過ぎず、確かめるにしろ、信じるにしろ、その道を実際に歩くのは『あなた』である。
ヨガ教師(グル)とは、心理的現象を消滅して真我独存に至った者であり、そうでない者の口から出る言葉は心理的知識に過ぎず、その全ては偽りの饒舌という訳です。